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大阪高等裁判所 昭和42年(う)1618号 判決 1968年4月15日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人谷口義弘作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点(事実誤認および法令適用の誤の主張)について

論旨は要するに、被告人に業務上の過失ありと認めた原判決は事実を誤認し、法令の適用を誤ったものである、というのである。

よって案ずるに、原判決挙示の各証拠のほか証人中川登の原審における供述、証人井出直昭の原審および当審における供述並びに被告人の当審における供述を総合すれば、被告人は自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四〇年九月二八日午後二時頃、大型貨物自動車を運転し、京都市伏見区内の京阪国道を北進し、同区下鳥羽平塚町京阪ドライブイン付近(同所付近は、右国道は中央線によって画され、南行北行各車道とも幅員各七メートルで、いずれも走行車線と追越車線の二の車両通行帯が設けられており、走行車線はいずれも幅員三・七メートル、追越線はいずれも幅員三・三メートルである)にさしかかった際、北行車道の中央線寄りの追越車線を先行車と約一〇メートルの間隔をおいて時速約五〇キロメートルで走っていたのであるが、左側の走行車線に進路を転じようとして、方向指示燈で合図をするとともに、ハンドルを左に切って除々に左方に寄り、自車前端部が追越車線と走行車線の境界線上にさしかかったとき、左側バックミラーに自車の左後方から走行車線上を軽四輪自動車が至近距離(同車の最前部が自車の最後部延長線に接する位置)に迫っているのを認め、同時に同乗の助手井出直昭から「左に車あり」と告げられたので、直ちに走行車線に入ることを断念し、ハンドルを右に切り返して、進路を元に戻したとき、すでに、被告人がハンドルを左に切って左方へ寄り始めるのと殆んど同時に、被告人の車の後方北行追越車線上から南行(対向)車道の追越車線に進出して被告人の車を追い越し、被告人の車の前方におおいかぶさるように、北行車道の追越車線に入り、制動をかけて停止しかけていた村井勝運転の普通貨物自動車を約七―八メートル前方に発見したので、急制動をかけるとともにハンドルを左に切ったが間に合わず、自車右前部を同車左後部に追突させ、その衝撃によって同車を南行車道の追越車線上に逸走させたため、同車線上を南進してきた杉江欣哉運転の普通乗用自動車がこれに激突し、さらに右杉江の車に続いて南進してきた中川登運転の大型貨物自動車が杉江の車に追突し、よって、前記村井勝に原判示のごとき傷害を与え、その結果原判示日時頃、原判示病院において死亡するに至らせ、また杉江欣哉並びに同人の車に同乗していた杉江幸正および吉田勉に対してそれぞれ原判示のごとき傷害を負わせたことが認められる。そこで先ず、右認定のごとく、被告人が北行車道の追越車線から走行車線に入ろうとしてから、これを断念して進路を元に戻すまでの過程において、被告人に業務上の過失があったか否かについて考察するに、被告人は北行車道の追越車線から左側の走行車線に進路を転じようとしたのであるが、このような場合に自動車運転者としては、「進入しようとする車線上の走行車両の有無に十分に注意を払い、他の車両に接触したり、その進路を妨害するなどの危険のないことを確認したうえで進路を転ずるようにして、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務がある」ことは、原判決が判示するとおりである。しかしながら、「進入しようとする車線上の走行車両の有無に注意を払い、他の車両に接触したり、その進路を妨害するなどの危険のないことを確認」するのは、当該車線に進入するまでの間に行えば足り、必ずしもハンドルを切りはじめるまでにしなければならないものということはできない。しかして、前認定によれば、被告人は追越車線から左側の走行車線に進路を転じようとして、方向指示燈で合図をするとともに、ハンドルを左に切って徐々に左方に寄り、自車左前端部が追越車線と走行車線の境界線上にさしかかったとき、左側バックミラーを見て、自車の左後方から走行車線上を軽四輪自動車が至近距離に迫っているのを認め、同時に同乗の助手井手直昭から「左に車あり」と告げられたので、直ちに走行車線に入ることを断念し、ハンドルを右に切り返して、進路を元に戻したため、右軽四輪自動車と接触することもなく、その時点においては事故の発生をみていないのであるから、被告人には前記のごとき注意義務の懈怠があったものということはできない。しかしそこで、このような場合に、自動車運転者としては、左側の走行車線に進路を転じようとして、方向指示燈で合図をするとともに、ハンドルを左に切ったならば、後続車両が自車を追い越して自車の前方に進入してくることがあるかも知れないことを予想して、先ず、左側走行車線上の走行車両の有無およびその状況を注意し、確実に走行車線に進入しうることを確認した後でなければ、方向指示燈で左寄りの合図をしたり、ハンドルを左に切ったりしてはならないという業務上の注意義務があるかどうかについて検討しなければならない。通常の場合、先行車が方向指示燈で左寄りの合図をし、ハンドルを左に切ったときには、後続車両が右先行車の右側を追い越そうとすることは、しばしば見られるところである。しかしながら、本件においては、前記認定のごとく、本件現場である京阪国道は中央線によって画され、南行北行各車道とも、走行車線と追越車線の二の車両通行帯が設けられており、被告人は北行車道の追越車線を進行していたものであって、追越車線を進行している車両を追い越すことは、二重追い越しとなって道路交通法二九条に違反するのみならず、道路交通法一七条三項は、車両は、道路の中央から左の部分を通行しなければならない旨を規定しているのであり、しかも、本件道路はその左側部分の幅員が七メートルあるのであるから、同条四項四号に照らしても、車両は本件道路の中央線を越えて、対向車道に進出して追い越しをすることは絶対に許されないところである。ところで、静岡県知事作成の自動車検査証の写および被告人の司法警察職員に対する昭和四〇年九月二八日付供述調書によれば、被告人が運転していた本件大型貨物自動車の幅は二・四八メートルであることが認められるのであるが、前記認定のごとく、被告人の車が進行していた追越車線の幅員は、三・三〇メートルであるから、被告人の車に後続する四輪自動車が被告人の車を追い越そうとすれば、必ずや中央線を越えて南行(対向)車道に進出しなければならないことになるのである。したがって、仮りに被告人が追越車線から左側の走行車線に入ろうとして、方向指示燈で合図をするとともに、ハンドルを左に切っていたとしても、前認定のように、未だその車は追越車線上にあったのであるから、このような場合、前記村井勝のように、被告人の車の後方を被告人の車と同方向に進行している車両の運転者は、被告人の車の右方を追い越すことは決してしてはならないのである。してみれば、被告人のように、中央線によって画された両側部分にそれぞれ走行車線と追越車線とが設けられている道路の追越車線を進行している自動車が、走行車線に進路を転じようとする際には、当該自動車の運転者としては、特別な事情がないかぎり、方向指示器で左寄りの合図をし、ハンドルを左に切っても、自車が追越車線にある間は、後続車両が交通法規を守り、自車を追い越すことがないことを信頼して運転すれば足りるのであって、本件村井の車両のようにあえて交通法規に違反し、自車を追い越そうとする車両のありうることまでも予想して、先ず、左側走行車線上の走行車両の有無およびその状況を注意し、確実に走行車線に進入しうることを確認した後でなければ、方向指示燈で左寄りの合図をしたり、ハンドルを左に切ったりしてはならないという業務上の注意義務はないものと解するのが相当であるところ、記録を精査し、当審における事実取調の結果を参酌しても、本件においては、前記特別な事情は全く認められない。そうだとすれば、被告人が北行車道の追越車線から走行車線に入ろうとしてから、これを断念して進路を元に戻すまでの過程においては、被告人に業務上の過失はなかったものといわなければならない。そこでさらに、被告人がハンドルを右に切り返して、進路を元に戻すにあたり、前方及び右方に対する注意が不十分ではなかったかどうかについて検討するに、前記認定によれば、被告人は北行車道の追越車線から走行車線に入ることを断念し、ハンドルを右に切り返して、進路を元に戻したとき、前方を見ると、すでに、被告人が左寄りを開始するのと殆んど同時に、被告人の車の後方から南行(対向)車道の追越車線に進出して被告人の車を追い越し、被告人の車の前方におおいかぶさるように、北行車道の追越車線に入り制動をかけて停止しかけていた村井勝運転の普通貨物自動車を約七―八メートル前方に発見したものであるが、被告人は村井勝の車をもっと早く発見することができなかったかについて考えてみると、被告人のように、追越車線から走行車線に進入しようとする場合、自動車運転者としては、方向指示器で左寄りの合図をし、ハンドルを左に切っても、自車が追越車線にある間は、後続車両が交通法規を守り、自車を追い越すことがないことを信頼して運転すれば足りるのであって、村井の車両のようにあえて交通法規に違反し、自車を追い越そうとする車両のありうることまでも予想して運転する必要のないことは前記説示のとおりであり、したがって、このような場合、自動車運転者としては、そのような追越車両の有無およびその動静に注意する必要はないし、このことは、追越車線から走行車線に入るべく一旦左へ寄りかけたが、未だ全く走行車線に入らない間にこれを断念し、ハンドルを右に切り返して、進路を元に戻す際においても同様であって、自動車運転者としては、そのような追越車両の有無および動静に注意し、もって事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当である。そうだとすると、前記のごとく、被告人が走行車線に入ることを断念して、ハンドルを右に切り返して進路を元に戻したとき、すでに被告人の車を追い越し、制動をかけて停止しかけていた村井勝運転の車を約七―八メートル前方に発見したことをもって、その発見が遅きに過ぎるものであると断定することはできない。してみれば、被告人がハンドルを右に切り返して進路を元に戻すにあたり、前方及び右方に対する注意が不十分であったとして、業務上の過失を認めることはできない。そこで、最後に、被告人が村井の車を発見してから採った措置が適確であったかどうかについて検討するに、前記認定のように被告人が七―八メートル前方に村井の車を発見したとき、同車はすでに制動をかけて停止しかけていたので、被告人は急制動をかけるとともにハンドルを左に切ったが間に合わず、自車右前部を同車左後部に追突させたものであるが、前記各証拠に前記自動車検査証の写を総合すれば、被告人の車は車両重量六、二五〇キログラムで、本件当時約七、〇〇〇キログラムの段ボール紙を積載して約五〇キロメートルの時速で進行していたものであって、被告人は走行車線に入ろうとしてハンドルを左に切って左方へ寄ったり、これを断念してハンドルを切り返したりする間に数回ブレーキを踏んだことがあるけれども、本件事故直後、現場に残されていた被告人の車によるスリップ痕の長さが約一五メートルであることから考えて、未だ相当のスピードが残っていたものと推認されるのであって、右各事実から考えると、被告人は村井の車を七―八メートル前方に発見するや直ちに急制動をかけるとともにハンドルを左に切ったものと推認され、これを覆すに足る資料は存しない。そうだとすれば、被告人が村井の車を発見してから措った措置が不適確であると断定することはできない。もっとも、被告人は原審および当審において、被告人は走行車線に入ることを断念して、ハンドルを右に切り返し、進路を元に戻したとき、被告人の車の右前方に村井の車が追い越して行くのを見た旨の供述をしているけれども、前記認定の事実に照らし、右供述部分はにわかに信用できないのみならず、仮りに右供述のとおりであったとしても、前記認定のように村井の車は南行(対向)車道に進出して被告人の車を追い越し、被告人の車の前方におおいかぶさるように北行車道の追越車線の被告人の車とその先行車との間に割り込んだものであり、その直後、制動をかけて停止しかけていたものであるが、村井の車のこのような追い越し方法は、道路交通法二六条二項、二八条三項に違反し、許されないところであって、被告人にとってはまことに予想しない事態であったものというべく、このような場合、自動車運転者としては、特別な事情のないかぎり、追越車両が交通法規を守り、自車により追突されることを回避するため適切な行動に出ることを信頼して運転すれば足りるのであって、右村井の車両のように、あえて交通法規に違反し、自車を追い越して自車の直前に割り込んだ直後、制動をかけて停止しようとすることまでも予想して、追越車両を発見すると同時に急制動をかけ、かつハンドルを左に切り、もって事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当である。もっとも、前記認定によれば、追越し車両である村井の車が進行していた南行(対向)車道の追越車線には杉江欣哉運転の自動車が対向進行してきていたのであるから、村井の車は北行車道の追越車線に入らなければ、右杉江の車と正面衝突するおそれはあったことが認められるけれども、前記各証拠によれば、村井の車は被告人の車を追い越し、北行車道の追越車線の被告人の車の前に割り込んだとしても、被告人の車との間に適当な車間距離を保つようにし、少なくともその直後には停止しないようにすることは可能であったと考えられるので、右のごとき事情は前記の特別な事情にあたるものとは解しえない。その他記録を精査し、当審における事実取調の結果を参酌しても、特別な事情を認めることはできない。そうだとすると、仮りに被告人が村井の車が被告人の車を追い越して行くのを右前方に発見したとしても、そのとき直ちに急制動の措置を採らず、前記認定のように、村井の車が被告人の約七―八メートル前方で制動をかけ、停止しかけるに及んではじめて急制動の措置を採り、かつ、ハンドルを左に切ったとしても、直ちに右措置が遅きに失し、自動車運転者としての業務上の注意義務を懈怠するものであると断定することはできない。以上のごとく、いずれの点について検討しても、被告人には注意義務の懈怠を認めることができず、したがって、業務上の過失の存在を認めることができないのにかかわらず、原判決は、被告人に注意義務の懈怠があったとして、被告人の業務上の過失を認めているのであるから、原判決には法令の解釈を誤り、事実を誤認したものであり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、控訴趣意第二点(量刑不当の主張)に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書によりさらに判決することとする。

本件公訴事実(原判決の判示事実と同じであるからこれを引用する)については、さきに説明したように被告人に業務上の過失の存することを認めることができず、結局犯罪の証明が十分でないから、刑事訴訟法四〇四条、三三六条により、主文のとおり無罪の言渡をする。

(裁判長裁判官 奥戸新三 裁判官 佐古田英郎 梨岡輝彦)

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